今年は母の新盆でした、60代看護師の思い出

calm water with sun and orange sky家族
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私(看護師)は、
定年退職後の
2021年4月にひとり起業した。
介護保険外(自費)看護サービスで
フリーランスナースとして活動開始。

私は看護師のお仕事を長く続けてきたが
人の生死について
こんなにも深く考えたことがなかった。

母の死に
「私は母に、やさしい言葉をかけたことがあったのか?」
「私は母を、やさしい眼差しで見守ったことがあったのか?」
「母が大変な時、私は何をしていたのか?」

母の死で
 何もできなかった私、反省ばかりです。

母の死に
 気持ちの整理がつかなかった。

母に死で
 人間としての生き方を、改めて考えた。
 

今年は新盆です
 母が帰ってきた
 母との思い出をいっぱい話したい
 そして、
 「ありがとうございました」と伝えたい。

母との思い出

3才頃

母は、働いている
朝は畑に行く
昼は工場へ行く
夕には田んぼへ行く

3才頃、家でひとりお留守番です

小さかった私の身体に
おんぶ紐を長くして、
柱におんぶ紐をくくりつけて
仕事に出かけていた

つまり、小さい子供が家から外に出ることがないように、
安全と思われる、おんぶ紐でくくりつけた柱の近くにいる私、

私の記憶では
ひとり遊び、ひとり泣き、ひとり寝

夜は
母と一緒に就寝した。

母は忙しかった。

4〜5才頃

買い物は隣り町に、歩いていく
一年に数回の買い物は、
とても楽しみだった。

母が、
私に、冬用の毛糸の手袋と帽子を買ってくれた
うれしくて
うれしくて
飛んだり、跳ねたり

数時間後、
炭こたつに中で
何か焦げ臭い

大事な毛糸の帽子が焦げた

母も私もショック

あの時のことは鮮明に覚えている。


小学一年生

小学校から帰ってきても
誰もいない家

私は、ひとり遊びしていた

母は夜帰ってくるけど
夕食の支度で忙しい

母は、
朝、まだ暗い時間に
ストーブでご飯を炊いている
母の朝仕事中です。

私の話を「うん、うん」と、
聞いてくれたね。

9歳の頃

母の顔を版画にし、入賞した。

母もとても喜んでくれた

いつも忙しい母
母の後ろ姿しか見えない日々

母を版画にし
母と向き合った日だった

私は
母の嬉しそうな顔を、
初めて見たような気がした。

中学生の頃

母は忙しい

朝は畑に行く
昼は工場へ行く
夕には田んぼへ行く

私もテニス部の活動で忙しい

母も私も
自分を一生懸命に生きていたね

高校生の頃

私は反抗期

そして登校拒否

私は
自分のことがわからない状態

私は
何をしたいのか?

母はずーと、ずーと
見守ってくれたね。

ありがとうございました。

母との思い出、もう書けない

高校卒業してからも、
いろんなことがあった。

涙があふれる

ブログを書きながら

その時の光景が浮かび

涙で文字が見えない

もう書くことはできません。

母は小さい身体だったけど

私にとっては、偉大でした。

母へ
 来年のお盆に再会楽しみにしています。
              あなたの娘より

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